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大阪高等裁判所 昭和23年(ツ)4号 判決

上告人 控訴人・原告 中村幸次郎 外一名

訴訟代理人 中原保

被上告人 被控訴人・被告 坂部辰男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負擔とする。

理由

本件上告理由は末尾添付の上告理由書と題する書面記載の通りであつて、これに對する當裁判所の判斷は次の通りである。

上告理由第一點について

上告人が所論の證人によつて立證しようとしたその主張事實が全部認められたとしてもなお且上告人が本件家屋の解約申入について正當な事由があるものとなすに足らないことは後に説明を加える通りであるから、原審が右證人の申請を採用しなかつたとしても證據を不當に排斥したものとはいえないばかりでなく、その採用しない理由を判示する必要はない従つて原判決は所論のような違法はない。論旨は採用できない。

上告理由第二點、第三點について

借家法第一條の二にいわゆる正當の事由があるかどうかを判斷するには、賃貸人及び賃借人は雙方に存するあらゆる事情利害得失を具體的に比較考察し進んで社會一般の實情を考慮しなほ解約申入前に賃貸人及び賃借人が信義に從い互譲の精神を以て誠實に事の解決に努力したかどうかということも参酌しなければならない。又他人が現在賃借居在中であることを知りながら家屋を買い受けた者であつても右のようないろいろな事情を考慮に入れて解約申入當時正當の事由があれば解約できるものと解すべきであつて原判決のように常に買受後他の正當の事由が發生しない限り自ら使用する必要があるとの事由では解約できないと解するのは正當でないことは上告人所論の通りである。

しかしながら本來賃借權は債權であつて排他性がなくいわゆる地震賣買によつて振り落されることとなるので借家法第一條はこの不安な地位にある借家人を保護する爲、賣買は賃貸借を破らないとの原則を採用したのである。ところが他人の賃借居住中の建物を直ぐ明け渡させて自ら使用する目的で買い受けた者は從來のままでは解消することのできなかつた賃貸借をこれまで局外者であつた自己の有する事由に基き、自己の利益のため買受當初からこれを解消しようとするものであつて賃貸人の變動さへなければ害されることのなかつた賃借人の住居の安全を害する結果となる。だから他人の賃借居住中の家屋を買い受けた者が解約の申入をするについて正當な事由があるというには、今日のように借家不足の著しい時代においては賃貸側に存する自ら使用する必要その他の事情の外賃借人の住居の安全が保障されるかどうかを特に考慮しなければならない。上告人は本件家屋に被上告人が賃借居住中であることを知りながらこれを買い受けた者であることは原審の確定したところであるだからたとい所論のような事情があつても(但し原判決の認定に反するもの及び原審で主張しなかつたものは論外である)それは主として相手方の境遇と比較した自己の境遇に基く自己使用の必要に關するものであつてもとより少からず同情に値するものではあるがいまだかつてない借家難の現在賃貸借解消の暁直ちに被上告人の當面しなければならない困難な状況もこれと比べて劣らないものであることは充分に察せられ被上告人の住居の不安が除かれたことは原審の是認しないところであるからまだ以て上告人が解約申入れをするについて正當な事由があるものと認めることはできないこのように解約の申入れに正當な事由がない場合その限度で所有權の行使の制限せられるのはやむを得ないことである。そうすると買受後他の正當な事由が發生しない限り解約できないとする原判決の説明は相當でないけれども解約申入れをするについて正當な事由が存しないとする原判決の判斷は結局相當に歸するから原判決を破棄する必要はない論旨は採用しないそこで民事訴訟法第三百九十六條第三百八十四條第九十五條第八十九條を適用し主文の通り判決する。

(裁判長判事 石神武藏 判事 大島京一郎 判事 熊野啓五郎)

上告理由

第一點原判決ハ證據排斥ト理由不備ノ違反ナル判決ナリ

(1) 上告人ガ原審ニ於テ本件解約申入ヲ爲シタルニ付キ其ノ正當ナル理由ヲ立證スル爲メ最終ノ口頭辯論期日タル昭和二十三年三月十五日附ニテ證人近藤廣一ヲ申請シタルニ原審ニ於イテハ何故カ右大切ナル證人ヲ制限シテ上告人ノ立證ヲ禁止シ以ツテ上告人ノ主張ヲ排斥シタルハ証據ヲ不當ニ排斥シ其ノ理由ヲ附セザル獨斷ナル判決ナレバ違法ナラント思料ス

第二點原判決ハ法律ノ解釋ヲ誤リタルカ若シクハ理由不備ノ違法ノ判決ナリ

(1) 原審判決ハ其ノ理由ニ曰ク「上告人ハ被上告人カ本件家屋ヲ賃借居住シ居ル事實ヲ認識シ乍ラ解約ノ上立退カセル意圖ノ下ニ家屋ヲ買受ケテ賃貸人トナリタル故ニ其ノ他ノ正當ノ事由カ發生シナイ限リ自カラ使用スル必要ガアルトノ事由デハ解約ハ出來ナイ」即チ原判決ハ賃借人ノ居住スル家屋ヲ買受ケタル者ハ絶對ニ解約申入レノ權利ガナイトノ理論ヲ前提トシテノ独斷ニシテ借家法第一條ノ二「正當ノ事由」ノ解釋ヲ誤リタルカ或ハ其ノ判斷ヲ脱漏シ若クハ其ノ理由不備ノ違法ノ判決ナリ何ントナレバ解約申入レノ効力發生ノ爲メ正當ナル事由ノ存否ヲ判定スルニハ賃貸人ト賃借人トノ雙方ノ特殊事情ノ利害得失ヲ具體的ニ比較考察シ尚進ンデ公益上社會上一切ノ事情ヲ斟酌シテ判斷スベキモノナルコトハ学説判決例ノ衡シク認ムル處ニシテ賃借人居住家屋ヲ認識シ乍ラ買受ケタル者ト雖モ正當ナル事由ノ存スル時ニハ解約ノ申入レヲ爲シ得ルモノト思料ス

(イ)大審院判決例昭和十八年二月十二日判決(民集二二巻二號五七頁)

(要旨)正當事由アリト爲スニハ必ラスシモ賃貸人ノ利害カ賃借人ノ利害ヨリ大ナルコトヲ要スルモノニ非ラス而シテ賃貸人カ本來ノ賃貸人タル場合ト前賃貸人ノ地位ヲ承繼シタル場合ナルトニヨリテ其ノ理ヲ異ニスルコトナシ

(ロ)東京地方裁判所昭和二十一年(ウ)第五六五號(二十二年六月三十日言渡)

(要旨)正當性アリヤ否ヤハ賃貸人及賃借人雙方ノ利害得失ノミナラス解約申入以前ニ於テ賃貸人及賃借人カ信義ノ原則ニ從ヒ互讓ノ精神ヲ以ツテ事ノ解決ニ當リタルヤ否ヤヲモ比較考慮シテ判斷スヘキナリ

(ハ)右同一趣旨ノ學説左ノ如シ

(雜誌)法律文化第三巻第二號三十一頁中段

(同)判例タイムス第一輯(二十三年四月一日發行)四十頁下段

(2) 上告人中村幸次郎ハ訴状第四頁(1) 印ニ詳記シアル如ク元來神戸市内ニテ洋服業ヲ經營シ来タリシ處昭和二十年三月十七日空襲ノタメ全燒シタルヲ以ツテ一時美嚢郡三木町へ避難疎開シ居タリシカ同年十月九日大暴風雨ノ水害ヲ被ムリ居住家屋ガ流失シタルヲ以ツテ住ムニ家無キ無一物ナル慘状ヲ呈シタル時洋服同業者ノ深キ同情ニヨリテ一時的所置トシテ同業者協同組織ニ依ル有限會社菊水洋服工業所ノ二階ノ一室六疊ヲ提供セラレ誠ニ文字通り暫定的ニ假寓スルニ至リシモ本來ガ居住ニ適セザル事務所ノ一室ニ上告人等家族五名ノ者ハ言語ニ絶ヱザル不自由ヲ忍ンデ本件家屋明渡ヲ待ツモ既ニ二ケ年餘ノ久シキニ亘リシ故最初ヨリ暫定的ニ一室ヲ提供シタルニ永住セラレテハ困ルトテ右會社ヨリハ嚴重ナル明渡ヲ要求セラレ居ル實状ニシテ上告人中村ハ人情トシテ恩義アル前記會社事務所ハ可及的迅速ニ明渡ヲ爲ササル可カラサル實状ニ追込マレ居ル故若シ本件訴訟ニ於イテ上告人ガ敗訴スルニ至リシナレバ本件以外ノ家屋ヲ買求ムル資力無ク轉住借家モ無ク親子五名ハ陋傍ニ迷フルンペン生活ニ轉落スルノ外採ル可キ道無キ現況ニ追ヒ込マレタルナリ

(3) 然ルニ被上告人ノ居住附近一帯ハ空襲ヲ免レタル爲メ家財道具ハ何等破損スル處ナク従ツテ戰前ヨリ毫モ損害ヲ被ムラサル爲メ裕福ニ生活シ居ルニ反シ上告人中村幸次郎ハ無財産ニシテ本件家屋買求モ友人栗山辰雄ヨリノ借金ヲ以ツテ買受ケタルモノナレバ被上告人ヨリモ一層同情スベキ戰災者ニシテ水害被害者ナレバ之ヲ救濟スベキコトハ公益上社會上誠ニ必要ナルコトニシテ當然ナリト斷ズルモ過言ニ非ズト思料ス

(4) 加フルニ上告人中村幸次郎ガ被上告人坂部辰男ニ對シ本件家屋明渡ヲ要求スルニ至リシハ昭和二十一年四月十四日ニ本件家屋賣買仲介人池中庸晃ト上告人中村ガ同行シテ協議ノ結果合意上一定ノ條件ノ下ニ本件家屋明渡シノ特約が成立シタルコトヲ確信シテ本件家屋ヲ買受ケタル故ニ其ノ當時ハ被上告人坂部辰男モ其時ヨリ三十日以内ニ本件家屋ヲ明渡スコトニヨリテ移轉料金五千圓也ヲ受領シ得ル故極力移轉スルコトニ奔走シ居リタルコトアルモ同年十月頃ヨリ前記仲介人池田庸晃ノ悪智惠ニヨリテ被上告人坂部ハ本件家屋ヲ明渡サザルコトニ決意シ以ツテ從來ノ態度ヲ一變シ完ク前記最初ノ特約ヲ否認シ之ヲ無視スルニ及ビテ終ニ同年十二月十九日曩キニ上告人中村幸次郎ヨリ支拂シ在ル約定移轉料金五千圓也ノ内金二千圓也ヲ返還セント爲スノ態度ヲ採リ爾來約二ケ年ニ亘リ訴訟中ニ在リテモ何等家屋ヲ捜査セシコト無ク實ニ信義誠實ノ觀念ヲ缺ク不都合ナル者ニシテ上告人中村幸次郎ニ於イテモ被上告人坂部ガ斯ル背信的ノ仲介者訴外人池中庸晃ト共謀シテ上告人中村ヲ窮地ニ陷入レ以ツテ本件家屋ヲ安價ニ買取ランコトヲ計劃シ居ルモノニシテ敍上ノ事實關係ニ付イテハ上告人ニ於イテ訴状第四項ニ記載シタル外口頭辯論ニ於イテ或ハ準備書面ヲ以ツテ右樣ノ趣旨ハ充分ニ陳述シ説明シアルコトハ本件記録上明白ナル處ナルニ不拘原審判決ハ斯ル雙方ノ利害得失ヲ比較考察ノ上判斷ヲ爲サザリシハ判斷ノ脱漏若シクハ理由不備ノ違法ナル判決ナリト思料ス

(5) 上告人ノ主張スル正當ナル理由ノ存在スル時期ニ於イテハ勿論判決言渡ノ時並ニ現在ニ於イテモ尚現存スルモノナリト主張ス

(イ)上告人中村幸次郎ノ現在家屋ハ昭和二十年十月水害ノ爲メ住ムニ家ナキ實情ノ爲メ同業者ノ温キ同情デアル故其ノ恩義ヲ思フ時ハ一時ニテモ早ク立退キ該事務所ヲ前記會社ニ返還スベキコトガ社會正義デアリ人情的常識ナルニ現在ニ至ルモ尚前記事務所ニ居住シテ返還ノ出来ザルコトハ實ニ上告人中村ノ日夜斷腸ノ思ニシテ悩マサレ居ルコトハ歳月ト共ニ深刻トナル次第ナリ

(ロ)被告人坂部辰男ノ家族ハ親子三人ニテ平家建ニシテ間取リハ八疊、六疊、四疊半、三疊ト臺所(板ノ間八疊)トノ五ツ部屋ヲ有シ居ルニ反シ上告人ハ六疊一部屋ニ親子五人居住シ居ル此ノ實情ノミヲ比較シテ尚被上告人ヲ保護スルコトガ社會通念ニ適スルヤ實ニ吾人ノ常識上不可解ニシテ此ノ現實ノ苦痛ハ眞正ナル裁判所ヘ訴ヘルヨリ外ニ救濟ノ道無ク更ニ歳月ノ經過ト共ニ正比例的ニ深刻化スルニ在リ

(6) 原審判決ノ認定ニ依レバ上告人ノ主張スル昭和二十一年四月十四日合意上ノ解約ハ適當ナル家屋ヲ搜シ當ルコトヲ停止條件トシテ明渡義務ヲ負擔スル契約ガ成立シタリト認定サレタルニ被上告人ハ右特約成立後同年十二月十九日頃迄ハ移轉先ヲ物色シ居リタル形跡アリタルモ其レ以降ハ頑強ニ前記合意上ノ特約ヲ根本的ニ否認スルニ至リテ移轉スル義務ナシト稱シ爾來毫モ移轉先ヲ搜査シタル事實ナク斯ル背徳的行爲ハ民法第一條ノ信義誠實ノ原則ニ反スル者ト上告人中村幸次郎ハ水害ニヨル一時的救濟ノ恩義ヲ深ク感シ忠實ニ約束ヲ履行スベク友人ナル栗山辰雄(同上告人)ヨリ借金シテ迄モ本件家屋ヲ買取リ之レニ移轉シテ最初ヨリノ恩義ニ對スル義務履行ヲ忠實ニ實行セント最後迄努力スル律義者トヲ比較シテ何レヲ保護スベキヤノ點ニ付キ判斷ヲ脱漏シタルハ審理不盡若シクハ理由不備ノ違法ナル判決ナリト思料ス

第三點原判決ハ家屋所有權ノ効用ニ對スル解釋ヲ誤リタル違法ノ判決ナリ

(1) 原判決理由ノ末尾ニ於テ住宅拂底ノ著シキ現在ニ於イテ買受新賃貸人ガ自己使用ノ爲メ解約申入レガ正當ノ理由アリトセバ賃借人ノ地位ハ極メテ不安定ニシテ資力乏シク自宅ヲ所有出來ザル者ハ住ムニ家ナキ結果トナル」ト判示セラレタリ然レ共現今新憲法上ニ於イテモ所有權ノ優位性ヲ認メ居ル故ニ本件上告人中村幸次郎ノ如ク自己居住家屋ハ空襲ニヨリ更ニ續ク水害ニヨリ轉々トシテ一時的假寓スル家屋ヲモ人情的恩借ナレバ可及的迅速ニ明渡スベキコトガ人情デアリ當然ナル責任ナレバ其ノ恩義ヲ痛感シテ自己居住ニ必要ナル空家ヲ搜セドモ見當ラザル時移轉料金五千圓也ト三十日間ノ猶豫期日ヲ與フルコトニ依リテ完全ニ明渡シ得ルコトヲ知リ以ツテ直接被上告人ニ面談シテ其ノ旨ヲ念達シ仲介人ノ口約ト相違ナキ點ヲ確信シテ被上告人ノ居住スル本件家屋ヲ買求シタルモノニシテ從前大正年間ニ東京ニ於イテ流行シタル所謂地震賣買ノ如キ營利ノ目的ヲ以テ本件家屋ヲ買求シタルモノニ非ズ上告人中村幸次郎ハ自己家族ノ最低限度ノ生活ノ爲ニ家族五名ノ者ガ生ンガ爲メノ必死ノ問題トシテ友人ヨリ借金シテ本件家屋ヲ買受ケタル者ニ對シテモ資本家扱ヲ爲シ資本ノ横暴ヲ押ヘ借家人ヲ尚保護セントスル原審判決ハ所有權ノ効果的優位性ヲ誤解シタル違法ナル判決ナリト思料ス

(2) 若シ原判決認定ノ如ク第三者居住家屋ヲ買受クルモ絶對ニ解約申入レニ付キ正當ナル理由ヲ認メサルニ於イテハ罹災都市ニ於ケル家屋ノ所有權ヲ事實上否定スルト同一結果ヲ招クコトニナリ住宅ノ拂底シ居ルニ不拘家賃金ノ値上禁止ノ現在ニ在リテハ賃料ノ収益ヲ目的トシテ家屋ヲ買受ケル者ハ絶無ト稱シテ過言ニ非ズ種々ナル事情ノ下ニ自己居住ノ家屋ヲ追立テラレタル者ニ於イテハ自己ノ資力ニ適應シタル家屋ヲ新築スルヤ或ハ適當ナル舊家屋ヲ買求シテ其實情ニ應ジテ明渡ヲ許容シテコソ眞ニ社會秩序ガ保持セラレ得ルコトガ自然ノ理ニシテ所有權制度ヲ否定セザル限リハ家屋買受ニヨル新賃貸人ニ於イテモ原則トシテ解約申入レニ付キ正當ノ理由ヲ是認セラル可キコトガ實生活ニ適應スルモノト思料ス

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